アメリカ歯科大研修紀行その14 京都市伏見区のいくま歯科医院 |歯医者の豆知識

京都市伏見区のいくま歯科医院歯科医師の小西です。

 

13という数字がいまいち気に食わなかったので、エピローグ的に14話を追加してこの研修紀行を終わりにしたいと思います。

翌年ライアン達4年生が日本にやってきました。

彼らにとっては僕たちと違ってあまり歯科研修的な意味合いは少なかったと思いますね。

何せ1週間の滞在で、埼玉と岐阜の二県を行かねばなりません。

先に岐阜に来て、一緒に少し実習をしました。

歯を削って出来栄えをデジタルで点数化する実習をやりましたね。

歯科的な事はそれと施設見学くらいで、後はバスで日帰り観光京都バスツアーに付き合ったくらいですかね。

確か清水に行きました。本来なら岐阜で大学を案内して埼玉へはお見送りをしておしまいなのですが、仲間二人と後追いで上京し、私たちは最後の夜をライアンの部屋で過ごしました。

状況はかなり迷ったのですが、もう二度と会えないかもしれないですしね。

アメリカに会いに行くよりは東京に会いに行った方がいいだろうと。

中でも数人とはいまだにfacebookでつながっています。

結構歯医者としての活動をアップしてくれている子もいて、刺激を受けています。

歯科医を続けていけば、どこかで会うこともあるかもしれません。

そんな展開に期待を寄せつつ、紀行を締めたいと思います。

 

アメリカ歯科大研修紀行その13 京都市伏見区のいくま歯科医院 |歯医者の豆知識

京都市伏見区のいくま歯科医院歯科医師の小西です。

そろそろエンディングです。

なんだかんだで密度の濃い時間だったし、とくに4年生とは毎日診療室で一緒だったのでかなり仲良くなりました。

正直私程度の語学力ではそんなに深い話はできないのですが、やはりお互いにポジティブな気持ちがあると関係性って深まっていくものですね。

日本人同士でもおなじですよね。お互いに興味があれば仲良くなるし、興味や接点がないと話もしないわけです。

帰るころにはすっかりライアン達や同行した日本の仲間たちが大好きになっていて、変な絆を感じたりしていました。

フェアウェルパーティーで大団円を迎え、翌年に4年生が逆の立場で来日するため、その再会を固く約束しお別れとなりました。

さんざん引っ張ってきたプレゼンは、そんなに甘い話ではなく、優勝なんて夢のまた夢。

この話はまたの機会に。

サンアントニオ帰還とはなりませんでしたが、この目標があったから充実したという側面もあったと思います。

日本の仲間たちとは最初の方は良く会いましたね。

あいては埼玉でこちらは岐阜でしたが、お互いにフットワークが軽かったです。

具体的な歯科再診料知識や技術を学べたわけではありませんが、アメリカの歯科事情は少し垣間見れました。

そして人間関係が大きく広がった。色んな経験ができた。

本当にかけがえのない夏だったと思います。

アメリカ歯科大研修紀行その12京都市伏見区のいくま歯科医院 |歯医者の豆知識

京都市伏見区のいくま歯科医院歯科医師の小西です。

タイトルのナンバリングもついに12を迎えまして。

大長編となりました。

研修の最後は確か土日で、遊んで帰るみたいなことでした。

一日は遊園地とプール、買い物、仮装パーティ。

私はシザーハンズのジョニーデップに扮しました。

最後の日がフェアウェルパーティで深夜から確かほとんど寝ずに出発までアメリカ人たちと語りあかしていたと思います。

 

関係ないですがこの時アメリカではfacebookが大流行していました。

日本でもSNSとしてはmixiがかなり強かったのですが、間もなくfacebookが上陸しましたね。

帰国後も連絡を取りやすいからと、この時勧められて登録しました。

当時は日本ではmixiユーザーばかりでfacebookはアメリカ人友達用のツールだったのですが、いまはすっかり逆転しましたね。

あと、日本のガラケーがかなり強かった時代ですが、当時はアメリカでiphone3が発売されたところでした。

一昔前は外国に行くたびに日本の携帯はすごいなって言われていた時代でしたが、それもスマホに完全に変わってきましたよね。

 

今になって思えば、やはり時代のトレンドってアメリカから始まってるのかなと思った次第です。

アメリカ歯科大研修紀行その11 京都市伏見区のいくま歯科医院 |歯医者の豆知識

京都市伏見区のいくま歯科医院歯科医師の小西です。

日本人学生の英語力はいかほどだったかというと、うちの女子一人が昔ボストンに住んでいたらしく、すごくきれいに発音していました。

本人は謙遜してほとんど忘れて話せないなんて言ってましたが、実は彼女の英語力が一番高かったのではないかと今でも思っています。他は私も含めてみんな大体同じくらいでした。

ただ、男子が少なかったこと。もう一人の男子が割と内向的だったため、がむしゃらにコミュニケーション取り巻くって色々動き回っていた私が相対的に目立ってしまっていたことが起因して、出し物の司会をわたしとその女子でやることになりました。

てかしゃべりはほとんど私。

まさかアメリカでMCをすることになるとは思っていないわけで、いろいろ原稿を整えます。

ビンゴ大会の司会なのでそんなに大したことは無いのですが、こっちは必死です。

多少は盛り上げにぎやかしもいるでしょうし、まあ考えましたよね。

人間必死になると色々出るもんで、多少の笑いもとりつつ、相方のサポートにも助けられながらなんとか司会をつとめきりました。

度胸はつきますよね。なんだかんだで50人からいるパーティですから、日本でも緊張します。

今から思えば貴重な経験でした。

アメリカ歯科大研修紀行その10 京都市伏見区のいくま歯科医院 |歯医者の豆知識

京都市伏見区のいくま歯科医院歯科医師の小西です。

2週間の長篠の戦いの中でさすがに1日だけは夕食後すぐに寝る日を作りました。ちょっと体が限界だったので。

言い訳をすると、日本人10名の内私だけが4大をでているのでだいぶ年上なんです。

若さに勝る他の子たちは皆勤している子が多かったですね。

さて、ここまでアメリカ側の話ばかりしてきましたが少し日本側の話を。

私の母校朝日大学からの学生は私含め男性2名、女性3名の構成でした。

姉妹校明海大学からはなんと全てが女性で5名。

10人中8人が女性という布陣でした。

日本にいる時点では姉妹校の学生とは全く会わず、出発前日の成田で初顔合わせなんですね。

みんないい子ばかりで、今でもつながっているんですが、初めて会う時は緊張しましたね。

で、日本にいるときからわかっているスケジュールとして、フェアウェルパーティってのがあったわけです。

要はお別れ会です。

例年そこでは2週間の歓迎に対してこちらがお礼をするということで、パーティー内で出し物をすることが恒例となっていたんです。

日本にいるときも確か、おぼろげな記憶ですが連絡先だけは交換しておいて、概要だけは事前に多少のすり合わせは行っていたと思います。

しかし、細かいところは当然会ってからの相談になったんですね。